1980年代の少女売春の形態は、組織が中心となって口コミなどのアナログ情報で水面下で行われていました。
この時代、少女が単独で行う事は難しかったと思われます。
1985年にテレクラが流行し、これが引き金で少女達が不特定多数の男性と会える環境が出来ました。
これ以降、それまでの組織的売春は衰退、変わって個人単位や小さなグル−プが中心となり、テレクラを舞台に行う形態へと移行して行きました。
1990代初頭のポケベルの流行は、少女達に連絡網を与えました。
この時代はまだ携帯電話は高校生が個人で帰る様なモノでは無く途方も無く高額でしたが、組織の人間がリ−ダ−格の少女に携帯させる事で、いよいよ少女売春のリアルタイム化が本格化して行きました。
この時期には既に仲間内では「援助交際」という言葉が使われ始め、90年代半ばに「援助交際」という名前でダイヤルQ2を用いて児童に集団売春させていた業者が摘発される出来事が世間に衆知される事となりました。
この時マスコミが一斉に「援助交際」の四文字を報道した事で、社会問題として提起されました。
2000年には前年開始されたNTTドコモのIモ−ドが一世を風靡。
学生でも携帯電話を所有出来る環境が整いました。
出会い系サイトが急増し、携帯からでも利用可能になった事で、中高生が閲覧する状況が加速して行きました。
援助交際がアナログから完全にデジテル化に移行した瞬間だと言えました。
これによりこれまでのように不良グル−プの人脈に関係無く、個人単位で簡単に援助交際が出来る事となり、以前では不良とは無縁だった少女達までがお小遣い欲しさに気軽に出会い系サイトを通じて援助交際を始めてしまうケ−スが多発してしまいました。
男性側もこれまでと違い、素人同然の少女との出会いを望んで出会い系サイトに殺到し、1999年待つに児童買春・自動ポルノ処罰法が施行される迄の盛り上がりはすさまじいモノがありました。
現在もネットを通じて男女間の連絡が取れれば援助交際はスタ−ト可能です。
まだまだ消滅する事は無さそうですネ。
「セリクラ」なる言葉に関しては、まだまだ認知度が低い風に思うのは筆者だけでしょうか?今回はこの「セリクラ」について綴って行きます。
法律規制により、以前のように少女を在籍させての援助交際に関わる商法が不可能になった業者は、それでも抜け穴を模索して行きました。
そして形式上は少女と一切無関係を装った「リアル店舗」を新たに生み出しました。
これが「セリクラ」というスタイルです。
そのシステムは、まずは男性客が会員登録。
これには身分証明証の提示が必要です。
入会金は数千円。
そして時間単位のル−ム使用料を別途負担して個室に入ります。
女性客は完全無料でリビング調の待合室で自分の順番を待ち、順番が来ればセリル−ムに入ります。
男性客は個室に供えられたモニタ−で女性客を吟味し、気に入れば「その女性を1時間連れ出すのに支払える金額」を提示します。
競合すればオ−クション形式となり、最高額を提示した男性がまずは交渉権を得る事が出来ます。
ゆえに「競り(セリ)」なのです。
女性側にも選択権が当然あり、男性からの指名交渉に応えるか否か、を判断出来ます。
女性側がNO!と思えば、時点の男性が繰り上がるシステムです。
互いにOKであれば2人で出掛ける事が出来ます。
競りに賭けられた金額は全て女性の取り分です(相場は5000円前後と言われています)。
店側は時間制のル−ム代で利益を得ます。
男性は会員制ですから店側にそれなりの責任が発生するのに対し、女性はあくまで無関係の立場となるシステムを採用する事で、店側は摘発から巧みに逃れようとしています。
また、表向き「女性客はフリ−」を謳いつつ、実態は店に所属しているケ−スも多を1歩出てしまえば「自由恋愛」ですから、ごく普通の少女が小遣い稼ぎ目的で参加する事もめずらしく無いようです。
食事だけに付き合う程度であれば、法的にも全く問題ありませんが、中にはその場で援助交際を申し込む少女も存在しています。
こういった事象が明るみに出始めた事で、結果セリクラも問題視され始めたのです。
現行の法律では直接店を取り締まる事は出来ませんが、警察はマ−クを強化し続け、結果的には店に打撃を与える摘発を継続して来たのです。
現在では店舗数も激減し、少女が出入りする状況はかなり抑えられているみたいですネ。